Road to 「my club」

マイクラブ設立を目指すコーチ達へ

中野吉之伴さんのコラムを読んで

「スポーツってどんなもの?」

 

スポーツの種類や動機づけ

 

わざわざ触れるまでもなく、いろいろある

 

そのいろいろあるスポーツに共通して言えるのは

 

「楽しい」

 

ということ。

 

楽しくもないのにそのスポーツを続けたりはしない。

 

楽しいからプレーするし

 

僕たち指導者もサッカーが楽しいから教える。

 

でもその根底を覆すような行いを指導者が平気でするチームも存在する。

 

スタメンとベンチをはっきりと区別し

 

試合中に平気で選手を怒鳴り散らかし

 

理不尽なメニューで選手を追い込む。

 

これではスポーツを楽しめない。

 

未だに苦しい思いをしてナンボという風潮がある。

 

昨日見たメッシの事が大好きな中東に住む男の子の話だってそうだ。

 

ナレーターは

 

「これから待つ厳しく辛い困難を乗り越えればバルセロナ行きが叶うかもしれない」

 

と言っていた。

 

未だに日本ではスポーツで高みに行くためには

 

辛くて苦しいことを乗り越える必要があると思っている人が多い。

 

その考えから派生して

 

理不尽な指導やコーチングが正当化されてしまっている節がある。

 

「育成年代のスポーツ現場では安心・安全こそ最も重要視されるべきだ」

 

と中野さんの記事の中で述べられている。

 

 

 

僕も頭ではもちろん分かっていた

 

実際に現場でも子供に何かあればすぐに駆け寄り

 

どこか痛いなら無理をさせずにすぐに休ませる

 

もちろん本人に問いかけをした上で。

 

でも僕が手を焼いている「喧嘩」による衝突はどうだろう...

 

僕は基本ノータッチを貫いている

 

でもそれでは「安心・安全」とは言えない

 

なぜなら。。。

 

・喧嘩による怪我

・喧嘩による他の子達の恐怖心

・自分の心を乱す存在(当事者の視点から)

 

などなど。

 

喧嘩が常態化している環境はどう転んでも安心・安全とはほど遠い

 

僕は様々なことを言い訳に逃げていた

 

喧嘩に介入することはめんどくさい

 

介入したからと言って両者の言い分は折れない

 

ましてや低学年の子達だ

 

自分の正当性を絶対に曲げることはない

 

曲げられるくらいなら喧嘩をしていない

 

さらに喧嘩がその場で収まるわけでもない

 

次の練習でも、またその次の練習でも。

 

喧嘩する子はいつも喧嘩をする

 

だから上手いこと立ち回ったとしても

 

自分の心にも、当事者の関係性にもしこりは残る

 

それを何度も経験したから僕は介入することを止めた

 

でも介入の仕方に問題があったんだ

 

僕ら指導者には善悪を判断する権利はない

 

前までの僕は子供たちの行動をつぶさに観察して

 

「やり始めはどっちか」

「やられた方はやり返したか」

 

などの情報を的確にキャッチして

 

その情報からどのような声かけが適切かを判断していた

 

例えば何か挑発するようなことを言ったことがきっかけで

 

言われた方が殴ったのなら

 

まずは最初に言った方に注意をし

 

殴った方にも暴力がいけないことを説明する

 

でもそれではなかなか解決に向かわなかった

 

信頼関係が不十分だったことも要因の1つだろう

 

それに加えてメッセージの方向性にも問題があった

 

「どうやって喧嘩を止めさせるか」

 

僕はそればかりに躍起になっていた

 

喧嘩がいけないことなんて子供たちは分かっている

 

でもやる

 

僕はそれを知らずに

 

「喧嘩を2度としないように」

 

という関わり方をしていた

 

それでは喧嘩はなかなか収まらない

 

収まったとしてもそれは「力尽く」という表現に近くなるだろう

 

子供たちは

 

「大人に止めるように言われたから」

 

喧嘩を止める動機が「大人に言われたから」。

 

こうなるとその大人がいないときにはどうなるだろう

 

恐らく昔自分たちがそうだったように

 

「大人がいなければ良いだろう」

 

という思考回路になるはずだ

 

そういう子供を作ってはいけない

 

故に、スポーツの現場で喧嘩が起きたときに

 

「どちらがどれくらい悪いか」

「どちらが謝るべきか」

 

を裁定するのではなく

 

それよりももっと低次元にある

 

「スポーツってどういうもの?」

 

を切り口にして子供たちと向き合うべきなのだ

 

どうしても喧嘩は起こりうる

 

プロでも喧嘩するくらいだ

 

でも建設的な言い争いならまだしも

 

誰かを貶めるような言い争い・悪口は一切必要ない

 

僕はそれすらも許容していた

 

むしろ殴り合う喧嘩すらも許容していた

 

でもそれではいけないんだ

 

「スポーツは全員が楽しくないと意味がない」

 

これを忘れていた

 

喧嘩が状態化した環境でみんなは楽しめるだろうか?

 

いつ自分に喧嘩の火の粉が降りかかってくるか

 

そう思っている子もいるかもしれない

 

いつも喧嘩をしてしまう子は

 

喧嘩をする相手から何かしら悪口を言われてしまうわけで。

 

いくら喧嘩はダメだと自分で分かっていても

 

「またあの子から言われるのか...」

 

と思いながら練習に来て、実際に言われてしまうと

 

余計に苛立ってしまうかも。

 

 

喧嘩をする子はその子の人間性に問題があるから仕方ない?

その子の家庭環境がある限り、喧嘩は止めないから僕らに出来ることはない?

喧嘩をする子は何をやっても無駄だからほっとくしかない?

 

 

これらは全部言い訳だ

 

1人でも不安を抱えて練習に来ている現状がある限り

 

そのチームは正常な状態とは言えない

 

「まあ子供の喧嘩だし、そこまで大人がムキになって止めるものでもない」

「子供の感情の発露は見逃すべき」

「感情をぶつけ合う中で感情のコントロールを自然と身につけていく」

 

僕の今までの考えはこんなところだ

 

部分的に正しい箇所もあるだろう

 

でもたとえ正しくても喧嘩を肯定する根拠にはなり得ない

 

喧嘩が日常的に起こる環境は異常だ

 

僕は今の環境に慣れてしまっていた

 

しかし、今更気づいたところでタイムリミットは近い

 

僕は数日後には今のチームを後にしてしまう

 

残された練習は1度きり。

 

そこで僕は最後のメッセージとして

 

「スポーツはみんなが楽しむもの」

 

これを伝えたい。

 

スポーツのルールに則った上で

 

みんなが何も心配することなく

 

伸び伸びと思い切りサッカーを楽しめる環境。

 

中野さんのおかげで僕は大切なことに気づくことができた

 

中野さんの記事が気になる方は

 

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