Road to 「my club」

マイクラブ設立を目指すコーチ達へ

「クソガキ」

こんにちは。お久しぶりでございます。

 

福岡への引っ越し作業等々でバタバタしており、更新が滞ってしまいました。

 

今回のテーマは「クソガキ」です。

 

きーすさんという方をご存じですか?

 

サッカーの指導者をやられていて、Twitterで情報収集されている人なら、ご存じかもしれません。

 

その方が先日

 

「クソガキに対して暴言・処罰がダメなんだったら、どうしたら良いんだ?」

 

と疑問を呈する文章をツイートされていました。

 

クソガキに対する扱い。

 

これは指導者ならではの悩みですよね。笑

 

本当はあんまり適切な表現ではないですよ。笑

 

でも現場に立ったことがある人ならきれい事抜きで

 

「このクソガキ共が...!」

 

と思ったことがある人がほとんどだと思います。笑

 

集合かけても集まりません。

 

話を聞きません。

 

自分勝手に遊びまくります。

 

喧嘩します。

 

簡単に人を殴ります。蹴ります。

 

そんな子たちが集まる現場に一度でも立ってみたらいい。

 

体罰・暴言を禁止する」

 

と言っている人のほとんどは現場を知らないですよね?

 

現場を知っていたら何かしらの「対処法」を持っているはずです。

 

それが正解かどうかは関係なく。

 

実際の現場ではきれい事がまかり通らないことが何度もあります。

 

体罰・暴言がダメと言われても

 

もし子供たちが自分の話を全く聞かずに

 

自分のしたいことばかりをしていたら?

 

もし真面目な話をしているときに

 

茶化すようなことを言われたら?

 

もしいくら「ダメ」と言っても

 

友達を殴る・蹴るなどの暴行を続ける子がいたら?

 

きっと誰もが最終的には「体罰・暴言」にたどり着くと思います。

 

指導者に熱意があればなおさらですね。

 

熱意ある指導者からすれば、そんな子らは異分子ですから。

 

自分の熱意と反する異分子は排除するしかありません。

 

でも排除は体罰になってしまいます。

 

きーすさんの経験談によると

 

「対話せい」

 

とお役所の人に言われたそうです。

 

正直対話ができたら苦労はしません。

 

「○○が大切なんだよ」

「○○すると自分が損をするんだよ」

「○○をしたら相手はどう思う?」

 

などと対話を試みたところで無駄骨でしょう。

 

じゃあどうすればいいのか。

 

僕はきーすさんが「クソガキ」という表現を使われていることに、そもそも違和感があります。

 

相手をクソガキと思って押さえつけようとしているから

 

きっと反発を食らっているのだと思います。

 

いくら「このクソガキ!」と思うような子でも

 

まずは1人の人間として扱うところか始めてみる。

 

僕の場合はそれでかなり緩和しました。

 

きーすさんは恐らく思春期の子らを担当されているので

 

僕とはまた違った種類の悩みかもしれません。

 

僕はギャングエイジですから。

 

でも1人の人間としてリスペクトするのは変わらないと思います。

 

「不適切な行動」をする子らは

 

概して「大人には負けない!」と思っているはずです。

 

自分のテリトリーに無理矢理引き入れようとする大人に

 

負けじと自分のテリトリーを作って対抗する

 

それに対して大人も

 

「子供には負けてられん」

 

と意固地になって大人の力で対抗する。

 

それがいわゆる「体罰・暴言」ですよね。

 

でもそれらは逆効果で

 

大人の言いなりになりたくない子供たちは

 

さらに反抗を強めていく...という悪循環に陥ってしまうと思います。

 

そのうち大人に対しても、暴力で解決しようと思うかも知れません。

 

でも大人が勝ったとしても、それはそれで問題なんですよね。

 

大人が勝利して拳を突き上げても

 

それを賞賛する者は誰一人いません。

 

例えば練習に来ても自分勝手に振る舞っている子供がいたとする。

 

暴言を吐くわ、暴力を振るうわの悪いこと三昧。

 

それに対して当然大人は注意する。

 

でもその注意を飲んでおとなしくしたら

 

その子はその大人に「負けた」という構図が出来てしまうわけです。

 

大人からしても、子供に負ける「屈辱」になるわけです。

 

だから自分の体裁を守るためにも、両者引き下がらずに泥沼化して...

 

というのがきーすさんの悩みの根源でもあるのかと。

 

だから僕は、さっさとそんな勝負降りてしまえばいいと思っています。

 

「別に負けでもいいから。勝手にどうぞ」

 

というスタンスでいれば、子供も骨抜きになるのではないでしょうか。

 

それで逃げたと思われても結構なことです。

 

僕はそれくらい心のゆとりを持って欲しいなと思います。

 

もちろんそうは言っても、子供たちを良い方向に導くのも大人の役目ですから。

 

そんなときは相手を傷つけない方法で、なおかつ

 

「お願い」する形を取ればいいと思います。

 

上記の例だったら

 

「申し訳ありませんが、今のままだと真面目な子達が損をしてしまいます。どうか大人しくしていただけないでしょうか?」

 

とお願いをすればいいと思います。

 

もちろんお願いをする以上は「断る」権利も相手方にはありますから

 

断られてしまって、そのまま悪行が継続されてしまうかもしれません。

 

そうなったら「指導者に出来ることは無い」のではないでしょうか?

 

対等な人間としてお願いしてもダメなら

 

少しドライですが、諦めるしかないと思います。

 

ただリングから大人が降りたのに

 

いつまでもリングの上でファイティングポーズを取っている子供は、多分いません。

 

相手も同じように降りるはずです。

 

両者が「権力闘争」のリングから降りて初めて

 

「対話」が成立するのではないでしょうか。

 

きーすさんがクソガキという表現を使っているのは

 

「クソガキがクソガキと呼ばれて当然の行為をしているから、これ以外に表現がない」

 

という気持ちも隠れているはずです。

 

しかし、クソガキと言って「不適切な人間」として扱っているうちは

 

両者が歩み寄ることはないと思います。

 

まあコーチ歴1年ぽっちの戯れ言なんでね。

 

きーすさんの含蓄ある言葉と比べるべくもないですが。

 

でももし僕が、思春期真っ盛りの中学生を担当することになったら

 

ギャングエイジと同じように、「目線を合わせて」接することでしょう。

 

無駄に背伸びすることもないし、大人の威厳を見せつけることもないし、何かを押しつけることもない

 

綺麗事なんでしょうかねえ。

 

本物の地獄を見たら簡単に考えが変わってしまうかもですが。

 

「現時点」ではこう思います。

 

手のかかる子ほど愛しいってね。

 

前のチームでいわゆる周りに「喧嘩をふっかける」ような子が

 

最後のお別れで僕のために泣いてくれたんですよね。

 

僕はその子に「人生とは?」と説いた覚えもないですし

 

「喧嘩はダメだよ」と言ったこともないです。

 

最初の方は言ってたかもですが。笑

 

熱くなって喧嘩をしてしまったら、個別で呼び出して

 

「まあ気持ちは分かるけど、少し落ち着いて話でもしない?」

 

と、その子の話をとことん聞いて

 

関係の無い話で笑い合ったりしていました。

 

つまりはそういうことです。

 

結局その子はあんまり変わらなかったですが。

 

その子の心の中に確かに僕はいた。

 

それで良いんじゃないでしょうか。

 

変えようとするから余計に話がややこしくなるわけで。

 

これから僕にどんな試練が待っていようと

 

「1人の人間としてリスペクトする」

 

という根本は変わらないと思います。

 

是非とも参考程度に。