北風と太陽
「やっぱり最後に勝つのは『太陽』だよ」
お世話になったチームの代表からこう言われました。
「北風と太陽」という童話。皆さんご存じでしょうか?
北風と太陽が旅人の服を脱がす勝負をするってアレです。
最終的に太陽が勝つというオチに引っかけて、代表は自分を「北風」に僕を「太陽」にたとえました。
僕は一瞬何を言われているのか分かりませんでした。
子供の頃以来にその物語を聞いたことに加えて、自分が「太陽側」だとは思ってもみなかったからです。
僕と代表は「サッカーを楽しむ」という根底は同じでも、指導法は対極に位置しています。
僕は「楽しければいい」と気楽に考えてしまいがち。
反対に代表は、溢れんばかりの情熱を前面に押し出して、練習でも試合でも子供たちを厳しく叱咤する熱血漢。
もちろん罵詈雑言が飛び交うわけではないものの、今日の練習試合でも選手を追い込むようなコーチングをしていました。
「なんでそこ行かない!」「○○のマークでしょ!」「何してんの!」「取られてるやん!」「横パスすんなって!」
しかし結果的に、子供たちはそのコーチングによって、「溌剌」とはいかないまでも、尻を叩かれたようにシャキッとプレーするわけです。
僕がメインのときとは大違いです。
僕がメインのときは必ずダレます。
疲れで脚が止まり、ボールへの寄せも甘くなって、自陣に釘付け。
大量失点して負けるお馴染みのパターンです。
しかし、代表の元でプレーしている子達はどうでしょう。
同じ子達とは思えないほどガッツを見せています。
疲れなど露程も見せずに、周りを見て、マークを確かめて、相手に寄せてというアクションを愚直に行っています。
僕にはそれが出来ません。
もちろんやろうとはします。けれど僕の中の「甘さ」が邪魔をしてしまい、強くは言えません。
確かに最終的に北風は負けます。
でもそれは「服を脱がすという土俵の上では」の話です。
もし勝負の内容が「服を飛ばす」だったらどうでしょう?
「服を着させる」でも良いです。
間違いなく北風の勝利でしょう。
太陽は自分の得意な土俵で戦ったから勝っただけ。そう思っています。
「子供たちにとってはどちらが心地良いか」
その土俵では確かに僕の勝ちかもしれません。
でも
「子供達を成長させる」
という土俵に置いては僕は負けていると思います。
もちろん他の数多ある土俵でも。
1年間代表の元で過ごして学びました。
厳しくてもそこに「信頼関係」があれば問題ないということ。
試合後の光景がそれを物語っています。
代表の背中に飛び乗る子供たち。
気づけば代表の周りに子供達の輪が出来上がっています。
試合中厳しいのに、試合が終わったら子供たちと遊んでいる元気な58歳を僕は他に知りません。笑
昔代表とこんな会話をしました。
代表「子供たちが満足するまで遊んであげると、ごっつ距離が近くなって、そこに初めて信頼関係が生まれるねん」
僕「でも僕は子供目線で遊んであげられるキャラじゃありません。それは代表の人となりあってこそじゃないですか?」
代表「ちゃうねん。俺だってめっちゃ頑張ってるから。そんなこと言わないで」
僕はそこで初めて代表が「頑張って楽しいおじさんを演じている」ことを知りました。
ハッとしました。キャラを言い訳にして「演じること」から逃げていた自分に気づきました。
そこからです。
僕が自分を「偽る」ことができるようになったのは。
そしてその偽りが、いつからか「本物になる」瞬間に出会えるようになったのは。
もちろん代表にはまだ遠く及びません。
練習中試合中は厳しく。終わればとことん優しく。
その切り替えこそ、厳しくても愛されている理由です。
信頼関係があるから子供たちは代表の言葉に、必ず耳を傾けます。
「この人の言うことに間違いはない」という目で話を聞いています。
試合中の指示にも忠実なリアクションを見せます。
子供たちを操作しているような見え方になるときもありますが、結果的に子供たちはファイトします。
その背中に学ぶものは本当に多い。
代表は決して北風ではありません。
子供たちを包み込む太陽であり、クラブ全体を常に照らし続ける太陽です。
僕は端っこに登場する通行人Aくらいのものでしょう。笑
もうすぐ還暦を迎えようというのに衰えぬサッカーへの情熱。
子供に対しても、全く関わりのなかった若造に対しても常に謙虚に接する姿。
まさに生き字引。嘘偽りなく「師匠」と呼ぶことに躊躇を感じない唯一の存在。
僕は新天地でも代表の顔を度々思い出すでしょう。
もちろんその顔は「太陽」のような笑顔であることに間違いありません。