自由と規律
こんばんは。今日も寒いですね。
今回は自由と規律のバランスについて気になったことをつらつらと書いていきます。
コーチが抱えるジレンマの1つであり、サッカーに限らずいろんな場面で頭を悩ませますよね。
「子供たちの自主性を伸ばす」とうたっているからと言って、コーチが何もしなかったらやりたい放題になります。
反対に規律でがんじがらめにしてしまうと、子供たちは途端に窮屈になり、大人の顔色を伺うようになるのも時間の問題でしょう。
どちらかに極端に寄りすぎてもダメなのは間違いないです。丁度良い塩梅を探るのがコーチの役目の1つでもあります。
僕がなぜこのテーマで書こうと思ったかというのは、今日の練習での出来事があったからです。
僕が見ている低学年の子に喧嘩っ早い子がいます。とにかく気に入らないことがあると手を出します。
砂を投げたりパンチしたりキックしたり。拳と一緒に暴言も飛んでいきます。
皆さんはそういう子に対してどういう対応をされますか?千差万別で面白そうなので是非ともいろんな意見を聞きたいですね。
まさに今回のテーマでもある規律。こちらを重んじる人が多いのではないでしょうか?
チームをマネジメントする上で上記の子は、誤解を恐れずに言えば「異分子」と言っても差し支えないかもしれません。
喧嘩がしょっちゅう起こることで練習は止まります。テンポが上がりません。
友達に怪我を負わせる確率は間違いなく一番高いです。安全とは対極にいます。
なのでまずは規律に則り、
「カッとなっても手は出さないように」「1度頭を冷やすように」「すぐに仲直りする
ように」
ひどければ「1度退場してもらう」なんて人もいるかもしれません。「サッカーをする集まり」から外れる人をなるべく排除したい。その気持ちも良く分かります。
その子は今日も喧嘩三昧でした。一方的に手を出すこともあれば、売り言葉に買い言葉で殴り合いに発展することも。
いろんな友達に喧嘩を買いまくって売りまくった結果、友達にチクられて、父親にみんながいる前で怒鳴り散らかされていました。
「暴力するなって何回言ったら分かるんや!暴力するならサッカーやめてしまえ!社会のルールが守れないなら家に帰らないでいい!」
それはもう凄まじい剣幕です。みんながいる前で怒られる光景は、異質と言う他ありません。
お父さんは子供をなんとか良い方向に「修正」しようと必死なのは伝わってきます。
大人になってまで暴力を振るってたら大変ですからね。下手したら警察沙汰です。
ですがそれは明らかに規律が強すぎる例の1つです。
自由が全くない状態。その子は何をするにも
「コーチ次は何するの?」「コーチ次はなにしたらいいの?」「コーチ○○しちゃダメやんな?」
と僕の言葉(大人の言葉)を絶対の正義に置いてきます。そのたびに僕は「自分で考えてごらん」とか「コーチに言われても困るなあ」とお茶を濁しています。
規律が強すぎる末路は「大人の操り人形化」だと思っています。その子は一種の解除が難しい「特級の呪い」にかけられている状態です。
最近では練習を重ねるごとに孤立を深めてしまっています。喧嘩した結果チクられて、父親に怒られる。
その子は毎日しょんぼりしながら家路についています。どう考えても異常でしょう。
話が逸れてしまいました。自由と規律のバランスでしたね。
規律は間違いなく必要です。ですが低学年の場合それは、必要最低限で良いと思っています。現段階では。
挨拶するとか、準備片付けをみんなでするとか。それくらいで良いと思います。
さらに規律を浸透させる方法も緩くで良いと思います。命令する必要など全くなく、出来なければ僕がやればいい。それくらいの軽い気持ちです。
むしろ何事もコーチが率先してやることが大切だと思います。挨拶もそう。
「コーチの振り見て我が振り直せ」じゃないですけど。コーチがせっせと働けば何かを感じてくれる子はちらほらといますからね。
イメージは自由9.5。規律0.5くらいです。ホンマに。
しょうもないじゃないですか。「あれやれこれやれ」って言うの。それでやっても本当の成長には繋がらないし、元々やる気のない子には普通に拒否られます。笑
コーチが言ったことを遵守する関係を「拒否られないだけの信頼関係がある」って美化して言いますけど、それって主従関係の間違いじゃないですかね?とも思うわけです。
命令されて「はい」でやる関係なんて、健全な選手とコーチの関係とは思いません。
たとえプレーしなくても準備片付けを一緒にやって、たとえ一銭ももらってなくても
「練習に来てくれてありがとう」「手伝ってくれてありがとう」
これが常に言えるような関係が健全ではないでしょうか。最近になってようやくですが、僕も自然にこれが言えるようになりました。
感謝されるのはこっち。命令するのはこっち。命令を聞くのは当たり前。聞かない子は除外。
こんな態度では多分誰もついてきません。低学年の子を侮ってはいけません。人をよーく見ていますよ。
「自分をしっかり見てくれない人」には付いていきません。
なので自由と規律のバランスは、特に低学年においては重要になります。そこの舵取りを誤ると簡単にチーム崩壊に繋がるでしょう。
もちろん僕も試行錯誤の毎日です。自由の比率を高めたら高めたで、今度は伸び伸びと喧嘩を始めますからね。笑
でも大人の前で遠慮なく喧嘩出来る関係は、至って健全だと思うわけです。
だっていちいち喧嘩を怒られているようなチームだと、おそらく大人がいる前では「怒られるから」と喧嘩を止めますよね。
でも本当は「鬱屈とした思い」が心の中で燻っている。そして、コートの外で結局は喧嘩をしている。
あるいは大人の目を盗んで、陰湿ないじめなんかが始まるかもしれません。
大人が見ている範囲で喧嘩をする分には結構なこと、だと僕は思っています。
とは言いつつも、自由が強すぎるが故のコーチの存在感の希薄さ。みなさん疑問に思われますよね。
「何でも自由だったらコーチいらないじゃん」って。でも意外とコーチの話を聞くんですよ。ほぼ空気なのに不思議ですねえ。僕自身が一番不思議です。笑
自由度が高いが故に、みんな自分がしたいことを好き放題している。確かにそうです。
試合中に遊んでいる子もいますし、僕と話す方が好きな子もいますし、僕がほぼ仕切らないので、いつになっても試合が始まらないのも日常茶飯事です。笑
でも僕が何かを言うと聞く耳を持ってくれます。反発する子もあまりいません。もちろん反発してくれても結構なんですが。笑
試合開始が遅れたとしても、5分もすればポツポツと人が集まって勝手に始まります。
審判も一切しません。ファウルしたされたでプレーが止まりますが、勝手に再開して、気づけば喧嘩も収まってたりします。
自由度が高すぎるからマネジメントが難しくなる。ってことは一切ないんです。
むしろ、低学年相手の信頼関係構築においては「自由度高め」は有利に働くと思います。これは是非ともみなさんに現場で体感していただきたい。
結論としては自由が多すぎても問題ないということ。低学年においては。
上では述べてないんですが、そもそも自由と規律のバランスを決めるのは大人じゃないってことも付け加えておきます。
子供達の空間にお邪魔してるわけだから、本来は一緒に考えるべきではないでしょうか?
子供と大人であっても関係は対等であってしかるべきです。一緒に悩み答えを出す。ときに助け船を出して、ほとんど傍観。
むしろ「浮いているのは自分だ」ということを自覚するべきです。
常に謙虚な気持ちで。規律なんて手放して楽になりましょう。子供の世界に身を委ねてしまいましょう。
つくづく「小学校低学年メソッド」は他のカテゴリーとは一線を画してますね。これもいずれ触れるときが来ると思います。
うん。かなり脱線した気がするけど、ま、いいか。